【悲報】伝説の空手家・大山倍達さんの嘘がバレてしまう

1 名前:匿名のゴリラ 投稿日時:2019/12/11(水) 13:34:17.49 ID:Kzva6veW0

【訃報】日本で最初の空手全国王者、金澤弘和氏が死去
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191210-00000020-gbr-fight
金澤氏は1931年(昭和6年)5月3日岩手県生まれ。拓殖大学在籍時より松濤館流空手の開祖である船越義珍、日本空手協会設立者の中山正敏らに空手道を学んだ。

1957年(昭和32年)10月、東京体育館にて日本で初めて開催された空手の全国大会『第1回全国空手道選手権大会』(日本空手協会主催)の組手の部において、
右腕骨折ながら蹴り技だけで優勝し、蹴りの金澤と名を轟かせた。翌年の全国大会では組手、型部門ともに優勝を果たした。

屁人 rBF.qZ4G9ZnX | 18時間前
真の最初の空手日本王者は大山倍達ではなくてこの人
田中昌彦先生もなし得なかった総合優勝を成し遂げた本物の空手家

gts***** | 13時間前
第1回全国空手道選手権大会で優勝したのは、「空手バカ一代」では大山倍達になってますが、この記事では金澤先生とあり、どちらが事実でしょうか?

 ka_***** | 12時間前
 大山氏は空手の大会には出場していないとそうです。漫画の創作らしいです。

 mig***** | 13時間前
 この方だと思います。

 myp***** | 9時間前
 漫画やで。大山は大会なんかでたことないやろ

2 名前:匿名のゴリラ 投稿日時:2019/12/11(水) 13:40:27.34 ID:t4AXLldk0
大山倍達が優勝したのは架空の全国大会
本当にあった全国大会と混同しちゃだめよ
3 名前:匿名のゴリラ 投稿日時:2019/12/11(水) 13:41:44.06 ID:lxyO+5WOM
漫画にマジになっちゃあいけませんでえ
4 名前:匿名のゴリラ 投稿日時:2019/12/11(水) 13:49:54.84 ID:Q/u47dI8a
若いころはフサフサだったとか嘘かよ
5 名前:匿名のゴリラ 投稿日時:2019/12/11(水) 13:54:13.77 ID:ro478Gc1M
梶原一騎「大山倍達 談」
6 名前:匿名のゴリラ 投稿日時:2019/12/11(水) 13:55:05.08 ID:wm7uTW/C0
はっきり言って人間的には屑の部類に入る
7 名前:匿名のゴリラ 投稿日時:2019/12/11(水) 13:55:43.52 ID:bpWJHmMx0
牛もウソだろ
いきなりステーキ行っただけだろ
8 名前:匿名のゴリラ 投稿日時:2019/12/11(水) 14:00:55.58 ID:b46Q336O0
大山は在日
本で日本で日本人として生活してても日本人が死ぬとうれしいみたいに書いてた
9 名前:匿名のゴリラ 投稿日時:2019/12/11(水) 14:04:29.86 ID:EHl4tooQa
良くも悪くもサービス精神旺盛な人だったんだろうなあと思う
盛った話がエスカレートしちゃったんじゃないかな
恐ろしく強かったのは本当みたいだね
10 名前:匿名のゴリラ 投稿日時:2019/12/11(水) 14:04:46.34 ID:K9YKkTIcd
牛は死にかけ
瓶は切れ目

挙句の果てに遺言書も適当で分裂。

11 名前:匿名のゴリラ 投稿日時:2019/12/11(水) 14:09:42.80 ID:sCE+Yq2XM
なんかついでに適当なデマまで流されてて草
12 名前:匿名のゴリラ 投稿日時:2019/12/11(水) 14:10:10.54 ID:si66V9A30
こいつがホラッチョなのは周知の事実だろ
13 名前:匿名のゴリラ 投稿日時:2019/12/11(水) 14:10:47.84 ID:d+4dySQ60
マンガの話じゃねーか
14 名前:匿名のゴリラ 投稿日時:2019/12/11(水) 14:11:36.78 ID:vC+mvakOa
>>1
俺は大山倍達の存在は、日本の打撃格闘技界に大きな足跡を残したと思う。
優勝は創作だけども、そもそも大山倍達は剛柔流空手の幹部の1人だったが、剛柔流の山口剛玄がスキンコンタクトルールに賛同した。
剛柔流は至近距離で脾臓肝臓への回し打ちや下突きや引っ掛けて倒す流派だったから相手に触れられないとまるで勝てない。
それでスキンコンタクトルールを最終的に採用する前に、松涛館空手も防具を付けてフルコンタクトルールを研究していたが、当時はまだ防具も剣道の防具を使ってて突く方が骨折したり、あまりにも危険だった。
かと言ってグローブをはめると力積がかかって脳にダメージが蓄積するし、投げ技や細かな技ができなくなる。

それで大山はこのスキンコンタクトルールに反対してフルコンタクト空手団体を立ち上げた。
スキンコンタクトルールに反対する他の団体は防具空手を研究し続けた。
大山倍達の極真空手からは完全掴み有り、投げ技ありのサバキ系空手、着衣総合格闘技団体の大道塾や禅道会や和術圭しゅう会などが生まれた。
弟子達はムエタイ(キックボクシング)を研究してラジャダムナンの王者を生み出し、K-1が生まれた。
偉大な空手家だったと思うよ。

15 名前:匿名のゴリラ 投稿日時:2019/12/11(水) 14:11:38.58 ID:XBNGqDM1K
愚地独歩のモデル?
16 名前:匿名のゴリラ 投稿日時:2019/12/11(水) 14:14:14.94 ID:Eyg9bM/20
まぁ知ってた
17 名前:匿名のゴリラ 投稿日時:2019/12/11(水) 14:15:20.91 ID:fmExpZ4L0
アメリカのプロレスラーに負けたこと無いっていってたけど
ほんとなんか?
18 名前:匿名のゴリラ 投稿日時:2019/12/11(水) 14:17:22.82 ID:T8DWfzVzM
大山はクズだけど、クズが弱いとは限らんもんな
19 名前:匿名のゴリラ 投稿日時:2019/12/11(水) 14:23:29.18 ID:XTKU2mTca
「極真会館のムエタイ挑戦の裏話」

現在の格闘技の蹴りと言えばスネや足の甲で蹴るのが普通だが、

この蹴り方はムエタイからの完全輸入品。

ムエタイ交流前の空手には中足(足の裏)を使う蹴りしかなかった。

空手界においてムエタイとの交流の先陣を切ったのは極真会館。

大山倍達がプロモーターの野口修(五木ひろしを売り出した人)に

「大山空手ならタイ拳なんかワンパンチKOよ!」と法螺を吹いた

のが発端となった。

この法螺を野口がタイ人に伝えたところ、案の定激怒して極真側に

試合を申し入れてきたのだが、言い出しっぺの大山の態度がいつ

まで経っても煮え切らない。

しびれを切らした黒崎健時が「喧嘩を売ったのはこっちですよ!」と

決断を促すと大山は

「野口君も若いね。。。あれはこっちだけの話で何もタイ人に話すこと

 ないのに。。。」

と逃げを決めてしまったので、黒崎はムエタイとの試合の話を勝手に進めた。

黒崎健時、中村忠、藤平昭雄の三名がタイに渡って試合をし、結果は2勝1敗

で極真会館の面目を保った。

しかし、格闘技としての実力は空手がムエタイに全く劣っていると痛感した

黒崎らは空手を捨てキックボクシングを立ち上げて、ムエタイのチャンピオン
狩りに乗り出す。

20 名前:匿名のゴリラ 投稿日時:2019/12/11(水) 14:27:52.32 ID:4cCfI/jL0
民明書房みたいなもんだからな
漫画の話を実話として受け取るなんてかわいいな

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