有識者、正論 「もともと日本に“個人主義”の概念は存在しない。個人主義の呪縛から脱却せよ」

1 名前:匿名のゴリラ 投稿日時:2022/02/01(火) 21:08:39.99 ID:BuoXf3soM

【正論】
もともと日本に存在しなかった「個人主義」の呪縛から脱出せよ 拓殖大学学事顧問・渡辺利夫

柳父(やなぶ)章氏の『翻訳語成立事情』は小著ながら圧巻である。
そこには、個人、社会、近代、自由等々の西洋起源の観念をいかにして日本語に移し替えるかに試行錯誤を重ねた福澤諭吉や中村正直など、
往時の知識人の苦闘が鮮やかに描き出されている。

日本には存在しなかった観念

インディビデュアル(individual)は現在ではごく普通に「個人」として使われているが、この言葉が導入された頃の日本にはそういう観念は存在しなかった。
神や社会に対する究極的な単位として、それ以上は細分化できない唯一の存在といった意味での個人が、かつての日本になかったことは柳父氏のいう通りであろう。
当時、日本人は社会の「身分」として存在はしていても、個人としてではなかった。

いま社会といったが、これも後世の造語だという。今日使われているようなソサイエティ(society)の
訳語である「社会」に対応する現実は往時の日本にはなかった。
存在したのは家とか藩とか邦といった集団における身分であった。
個人を構成単位とする人間関係を社会だとする考えは、柳父氏によれば、むしろこの訳語が成立して以降のことらしい。

個人についていえば、福澤がまずは「人」、次いで「独一個人」と訳し、その後、独が落ちて「一個人」、さらに一が落ちて「個人」になったと柳父氏は追跡する。
また社会については、中村正直が同じ目的をもった人々の集まりという意味をこめて「会社」と訳したという。
実際、福澤、中村ら当時の代表的知識人が集った西洋思想啓蒙の場が明六「社」であった。
そういう社の集まりが「会」であり、社会となったというのが柳父氏の究明である。

個人は身分に、社会は世間に対比されて、それぞれ前者の方が後者よりも高い価値をもつ観念であるかのように受け取られてきた。
個人や社会という現実の有無にかかわらず、その言葉自体が自己運動を展開してきたと柳父氏は主張したかったのであろう。

俎上に載せるべき13条と24条

言葉が「人間の道具として使いこなされているのではなく、逆に、何らかの意味でことばが人間を支配している」と氏はいう。
「個人主義」や「社会主義」ともなれば、これはもう思考の専制と支配そのものだというべきであろう。
社会主義の方は冷戦崩壊とともに人々を惹きつける魅力はすっかりうせてしまったが、個人主義の方は衰えるどころか、むしろ強化されつつあるかにみえる。

https://yahoo.co.jp/csnbxj

2 名前:匿名のゴリラ 投稿日時:2022/02/01(火) 21:08:56.73 ID:BuoXf3soM
はい
3 名前:匿名のゴリラ 投稿日時:2022/02/01(火) 21:09:13.78 ID:z2n2uH6a0
全体主義ばっかりだろが
29 名前:匿名のゴリラ 投稿日時:2022/02/01(火) 21:26:03.84 ID:MfcX4QSE0
>>3
荘園なんかは個人主義じゃないの?
4 名前:匿名のゴリラ 投稿日時:2022/02/01(火) 21:09:33.89 ID:BuoXf3soM
(略)
焦点は第9条のみ、それ以外には論じるべき条項がないかのような様相である。
第9条問題が喫緊のテーマであることに異論があるはずもないが、同時に議論の俎上に載せねばならないのは第13条と第24条である。
前者は「すべて国民は、個人として尊重される」であり、後者は「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立」するとある。
第13条は個人至上主義そのものであり、第24条は独立した個人から構成されるものが夫婦であるというのみ、
これが共同体の基層をなす家族の形成主体だという観念を少しも呼び覚ましてはくれない。

(略)
国家の命運は家族の再生だ

私は奉職する大学の日本近代史講義の冒頭でこう説く。
現世の自己の存在のみがすべてだなどと考えるのは不道徳である。諸君には父母がおり、祖父母、曽祖父母、祖先がある。
数世代を遡るだけでゆうに百人を超える血族があり、その内の一人が欠けても諸君はここには存在していないのだ。
諸君のもつさまざまな属性は遺伝子の情報伝達メカニズムを通じて血族から諸君に移し替えられている。それゆえ個人はすべて歴史的存在なのだ。
現世の個人は連綿とつづく血縁の中の一人の旅人である。死せる者のいうことにも耳を傾けながら現世を選び取るという感覚を呼び起こそうではないか-。

日本という国家の命運は、外敵からいかに身を守るかにかかっていると同時に、共同体の基層にある家族の再生をいかにして図るかにも委ねられている。
国人よ、まだ遅くはない、個人主義の呪縛から脱しようではないか。

https://www.sankei.com/article/20160503-HQJBI64LUVPLBHTHKPFJB6FYOY/

18 名前:匿名のゴリラ 投稿日時:2022/02/01(火) 21:17:15.24 ID:eJDXHiWJ0
>>4
>国家の命運は家族の再生だ

知らんけど江戸時代以前の日本には家族という概念も無かったんじゃないかね?
武士やある程度以上裕福な身分なら家や家族の継続というものにも意味はあっただろうけど
底辺の場合はおそらく子供が成人して独立したら家族そのものもバラバラになって終わりだったろう

5 名前:匿名のゴリラ 投稿日時:2022/02/01(火) 21:11:00.83 ID:dPt4yxwn0
日本には「過ぎたるは及ばざるが如し」という諺があるからね
6 名前:匿名のゴリラ 投稿日時:2022/02/01(火) 21:11:10.95 ID:KR8TPuzd0
無いから未来永劫要らないのか
なら人間は元々国家や法律など持ってなかったのだから
国家も法律も要らんという話になるぞ
7 名前:匿名のゴリラ 投稿日時:2022/02/01(火) 21:11:20.92 ID:IUhJiyZD0
ジャップには封建主義が合ってるよ
8 名前:匿名のゴリラ 投稿日時:2022/02/01(火) 21:11:30.48 ID:9dxeuu1S0
we must respect the will of the individual
9 名前:匿名のゴリラ 投稿日時:2022/02/01(火) 21:12:21.19 ID:qaTpu/7N0
拓殖大学は、台湾の開拓を実施するための人材を育成する教育機関として開校した[1]
(拓殖とは“未開の土地を開拓し、そこに移り住むこと”の意である)。

拓殖大学は、1900年(明治33年)6月に設立された台湾協会学校を起源とし、1904年に専門学校令準拠の台湾協会専門学校、1907年に東洋協会専門学校、1915年(大正4年)に東洋協会植民専門学校、1918年に拓殖大学と改称。
1922年に大学令準拠の東洋協会大学となり、1926年に拓殖大学と改称。戦前期を通じて植民地経営に資する人材を多く輩出した。
終戦の翌年(1946年)に紅陵大学と改称し[2]、連合国軍による占領統治終了後、旧称に戻した。

10 名前:匿名のゴリラ 投稿日時:2022/02/01(火) 21:13:08.86 ID:/RJGgQ/pM
これ半分正論だろ
11 名前:匿名のゴリラ 投稿日時:2022/02/01(火) 21:13:42.38 ID:2Fujdfci0
??「インドはカーストがあるからひどいよなぁ」
??「弱者は〇ね!自己責任努力不足!底辺の負け犬が!」

インディア「。。。」

12 名前:匿名のゴリラ 投稿日時:2022/02/01(火) 21:14:07.33 ID:nyuxZxJs0
日本人の思想なんて仏教とはまるで関係の無いキリスト教に根ざした西洋文化を
無理やり丸コピしただけのハリボテ社会やから中身スカスカなんよ
13 名前:匿名のゴリラ 投稿日時:2022/02/01(火) 21:14:20.88 ID:GGpxeqz5a
夏目漱石のころには成立した
14 名前:匿名のゴリラ 投稿日時:2022/02/01(火) 21:14:25.29 ID:op9n8939a
どんぐり食ってうほうほしとけ
15 名前:匿名のゴリラ 投稿日時:2022/02/01(火) 21:15:14.81 ID:mpOcLaRD0
縄文時代にはなんもなかったろ

もともとないとか言って今の自民党独裁を正当化するな

16 名前:匿名のゴリラ 投稿日時:2022/02/01(火) 21:15:34.09 ID:KR8TPuzd0
なら財産も資本主義も存在しなかったんだから捨てたら?
てめぇが原始人に戻ってからほざけ
17 名前:匿名のゴリラ 投稿日時:2022/02/01(火) 21:15:49.62 ID:JWzgNepq0
もともと猿に直立歩行の概念は存在しなかったんだから
余計なものは捨てて森に帰れよ
19 名前:匿名のゴリラ 投稿日時:2022/02/01(火) 21:17:39.18 ID:nSeC1mY+0
最後のほうでやっと持論に持って行ってるけど
ぶっちゃけて赤紙が来てた頃の考え方をよく説けるなあと思う
20 名前:匿名のゴリラ 投稿日時:2022/02/01(火) 21:18:18.62 ID:Uimmxvsq0
何この頭の悪い文章は
21 名前:匿名のゴリラ 投稿日時:2022/02/01(火) 21:18:51.71 ID:v/0YyC8S0
だからヒキコモリ歴38年の俺の将来の面倒は弟が見るべきなんだよ
弟には家庭があるなんて知らないよ

これぞ美しいニッポン

22 名前:匿名のゴリラ 投稿日時:2022/02/01(火) 21:19:36.21 ID:V4JN2gdD0
ちょっと何言ってるかわかんない
23 名前:匿名のゴリラ 投稿日時:2022/02/01(火) 21:20:33.73 ID:tJQI+O0UM
無かったかどうかはおいといて

もともと無かったものは、今後も有ってはならないと考える理由は何なの?w

24 名前:匿名のゴリラ 投稿日時:2022/02/01(火) 21:20:38.82 ID:XUGExG3r0
大化の改新に始まる日本の租庸調制ですが
庸、調は人頭税
ムラでも社会でもなく
個人にかけられた税
25 名前:匿名のゴリラ 投稿日時:2022/02/01(火) 21:20:41.16 ID:3KWmQROZ0
そんなん近代以前はどこもそうだろ
だからなんだよ
26 名前:匿名のゴリラ 投稿日時:2022/02/01(火) 21:22:32.77 ID:XtM5J8J5a
だろうな作れよ
27 名前:匿名のゴリラ 投稿日時:2022/02/01(火) 21:23:10.16 ID:mpOcLaRD0
漢字パクっといて漢字でお気持ち表明してよく言うよな
28 名前:匿名のゴリラ 投稿日時:2022/02/01(火) 21:25:30.12 ID:Fi3/6nex0
えええ
日本は「価値観※を共有する国々」じゃなかったのぉ???

※バイデン大統領の演説とかだと
「バリュークリエイションシステム(価値観が社会的に決定されていく過程)が同じ国」
といっているのをなぜか日本の政府やメディアは「価値観」と置き換えている

32 名前:匿名のゴリラ 投稿日時:2022/02/01(火) 21:30:20.92 ID:H4roqk0v0
>>28
欧米諸国と民主主義の価値観を共有(してると海外に伝えた方が国益に適うからそうしてるだけ)w
って事だよねカルト右派保守勢力による自民与党政府の言ってる事は
そりゃ基本的人権の尊重は日本人の価値観に合わないから改憲とか堂々と言ってしまう議員も大勢居る訳で
30 名前:匿名のゴリラ 投稿日時:2022/02/01(火) 21:26:19.10 ID:KKX6pZmf0
いやいや、56すぞ!
31 名前:匿名のゴリラ 投稿日時:2022/02/01(火) 21:29:41.05 ID:4s/uXDYp0
主体思想かよw
目指すは北朝鮮か?

ジジイの世代と違ってちゃんと若者は民主主義について学んでるんだから余計なお世話だ
勝手に一人で人権放棄しとけ

33 名前:匿名のゴリラ 投稿日時:2022/02/01(火) 21:32:00.49 ID:kj3jmcaNa
日本以外においても個人主義の概念なんてないだろ。
端的に言えば人類誕生以来、他人が自分を支配することを許せるか否かという社会的な問いがあり
多くの人は支配されたくないという選択をしたから民主的な近代社会があるのであって
それを否定するってことは支配者に4ねと言われたら死ななくちゃならない社会ってことだ。
今さらそんな原始的な社会に生きるのは耐えられないだろ。
34 名前:匿名のゴリラ 投稿日時:2022/02/01(火) 21:33:39.16 ID:H4roqk0v0
やっぱりジャップ土人ってちょっと気を抜くと権利には義務が伴うとか行き過ぎた人権とか平気で言い出すし
庶民自ら個を確立して公権力と対峙して自由を勝ち取るというプロセスを踏まないまま今まで来てしまったと言うなんちゃって民主主義国であって中世封建奴隷大国ジャップランドなんだよねつまり

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