医師の加藤英明さん(51歳)は、父親と血のつながりがないことを29歳の時に初めて知らされた。
きっかけは、病院の実習で両親と自分の血液型を調べたことだった。 両方の親から片方ずつ遺伝子を引き継いでいることを示すはずの結果が、父親とはひとつも合致していなかった。
帰宅後、母親にその結果を伝えると、突然真顔になり語り始めた。「実はね、慶応大学の精子提供で生まれたかもしれない…」 突然の告白に混乱した。
親と医師が同意した生殖補助医療であろうが、生まれてくる子どもも当事者だ。加藤さんはこの日から20年以上、出自を探している。
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母親から告げられたのは以下の内容だ。
・父親が無精子症だったこと
・生殖補助医療を行っていた慶応大学病院で精子提供を受けて生んだこと
・提供者は大学の医学生で名前はわからないこと
「ちょっと納得できない。提供者は誰なの?もっと詳しい情報はないの?」
母親に食い下がったが、それ以上は聞いてほしくないという態度をされた。
「地元の病院で普通に産んだんだから、うちの子として育てた。もうこんなことは話すつもりもなかったし、それこそ墓場まで持っていくつもりだった。あんたが勝手に調べたからいけないんでしょ」
投げやりに会話は終わってしまった。これで加藤さんの気が済むわけがなかった。自分のルーツの半分がわからなくなってしまったのだから。
何の疑いもなく「父親」だと思っていた人は、血がつながっていなかった。ずっと一緒に生活してきたのに…
「その時、もう29歳なんですよね。こんな大切なことをなぜずっと黙っていたんだというか、僕に対して悪いっていうよりも、何でこの両親はずっとそれを自分の中に抱えたまま、30年も生きられるのかな。そんなに背負わなくてもいいんじゃないかなって」
両親は、家族や親戚の誰にも話していなかった。
「これは本当に夫婦の間だけでの秘密としてきたんだと言ってました。母親たちも辛かったんだろうなとは思ったんですけど、だからといって、なぜ生まれてきた子どもに対して、事実を知っちゃいけないような、隠しておかなきゃいけないような言い方をするのか」
重要なことを隠されたまま29年が過ぎ、両親に置いて行かれたように感じたと、加藤さんは言葉に寂しさをのぞかせた。
当時の医学部に在籍した学生の名簿を集めてリストを作り、このうちの30人ほどに手紙を送った。なかには返事があり会って話を聞いた人も何人かいた。
「教授に誘われたが、それによって子どもが生まれるという事の重大さを考えて最終的に協力しなかった」と話す人もいたという。ただ、実際に提供したという人には会えなかった。いまに至るまで20年以上、探し続けているが、未だに手掛かりは見つかっていない。
遺伝上の父が「どんな人か知りたい、どんな考えを持った人かゆっくり話してみたい」。加藤さんが思うのはただそれだけだ。
「日々何かあったときに相談相手になって欲しいなと思うことはよくありますね。提供者も、生まれた子どもに会いに来られると困るみたいなことを思ってる方が多いかもしれないんですけど、いやそうは言わないで年に1回ぐらい会ってやってくださいよっていうのが正直なところ」
加藤さんはお酒が好きで、「いつか遺伝上の父と酒を飲みながら話したい」と明るい表情で語った。AIDで生まれた人の多くは、提供者のデータではなく“人柄”を知りたいと願う。自分との共通点を見つけ、初めて社会の一員と認識できるのだと、ある当事者は話していた。
> 提供者も、生まれた子どもに会いに来られると困るみたいなことを思ってる方が多いかもしれないんですけど、いやそうは言わないで年に1回ぐらい会ってやってくださいよっていうのが正直なところ
そりゃ当人からしたらそういう思いになるよなあ
おまえよく平気で生きてられるな。
兄貴は、そうして、失望、したらしいよ。
そこらの底辺よりマシだろ
不倫だっけ?
ダチが犯罪者の子どもと思い込んでさえいれば実際は犯罪者の子供じゃなくても一緒だろとか無駄に気を利かして提供する精子か赤子かなんかをすり替えてた記憶
何が問題なの?血だけでそんなに実の親知りたいもんなの
育ててくれた大事にしてくれた人が親じゃん
兄貴の、ほんとうのおやじに会って
そして冷淡に、遇された、らしいで。
スタートダッシュかましてゴールまで走り抜けてんのにスタートライン気にすんな
やさしくしてもらえたらそれでいいです。
それまでろくに苦労も辛酸も舐めたこと無かった恵まれた人生だったんだよ
妻から冷淡にされたら
どうしようぼく
他言しない契約だった場合に母親が訴えれる可能性すらあるのに






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