AERA DIGITAL
https://dot.asahi.com/articles/-/262552?page=12025/08/07/ 17:15
作家・北原みのりさんの連載「おんなの話はありがたい」。今回は日本社会について。
【写真】記者会見に臨む参政党の神谷宗幣代表
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オウム真理教により地下鉄サリン事件から今年で30年。1995年は日本社会が「カルト」というものの存在を目の当たりにした年だった。カルトとは私たちの身近にあり、そこには陽があたることもあり、人は自ら志をもってそこに集い、熱狂し、自らの人生をかける覚悟もあるのだと知った。また、社会的な弱者がカリスマ指導者にすがるだけではなく、高学歴者や高所得者のような社会的に恵まれていると思われる人であっても心酔することも知った。
私の知人にもオウム真理教に入った人が2人いる。あの時代、東京の大学にはたいていオウム真理教の熱心な勧誘者が入り込んでいた。知人の一人はヨガをきっかけにオウムに入信し、サティアンで暮らしていた。後に脱オウムした彼女の話を聞く機会があったが、組織の末端にいた彼女の体験は衝撃だった。目が見えないという教祖のために「美人投票」をしていたこと、どうやら1番になった女性は教祖の寝室に連れていかれたらしいこと、ときどき「姿を消す」人がいたこと、もしかしたら死んだのかなと思いつつ誰もその人の存在を口にしなかったこと。全ての情報は噂話として語られるので何が真実かわからない。ただ、自分たちは真理を追究しているからこそ迫害されている、だから結束しなければならないのだと信じていた。
もう一人の知人はオウムの騒動の最中に命を落とした。なぜオウムに入ったのかを聞くことは叶わなかったけれど、今にして思えば、彼は宗教2世だった。母親が新興宗教にはまっていて、近所の人を熱心に勧誘し迷惑がられていた。宗教2世の彼からすれば、オウムは母親が信じていたものよりもマシ、と思えたのだろうか。
この国はカルトによる史上最悪のテロを90年代に体験した。その後、政権と深い関係にあった別のカルト集団の被害者によって元首相が暗殺された。2つのカルトが起こした事件は、この国を生きる私たちにトラウマとして刻まれながらも、私たちはカルトに真正面から向き合ってきたといえるだろうか。
そんなことを思うのも、今年の夏の話題を独り占めしている参政党を辞めた人たち、いわゆる「辞め参」と呼ばれる元参政党員の発信や、インタビューから目が離せないからだ。参政党の広報活動に尽力していたが、参政党が国政政党として力をつけていく過程で離れた人たちの話だ。私自身が「参政党=カルト」と断じているのではなく、「辞め参」の人たちの証言が、まさに「カルトから目が覚めました」というような語り口であることに衝撃を受けている。「洗脳が深かった」「外部の情報はシャットアウトしていた」「批判すると途端に村八分になった」「迫害されるのは、私たちが本物だからだと思っていた」「外部から批判されるほど内側の結束が強まった」……彼女や彼らの語り口は、信じていたものが間違っていたと気がついた、という、カルトから抜け出したサバイバーのそれである。
彼らの話はとても似ている。きっかけはコロナだった。政府やマスコミの言うことが信じられなくなった。ワクチンやマスクが強制されることに疑問を持った。真実を知りたいと思った。そこで参政党に出会った。簡単に言えば、そういう経緯で参政党に関わっていく人はとても多い。こういう人たちの多くは参政党の政治的イデオロギーに共感しているわけではなく、むしろ、元はれいわ新選組の支持者だった女性もいる。
参政党は楽しくやりがいのある場所だったと辞め参の人たちは語る。高揚感と使命感を感じられる居場所であり、気が合う仲間たちと一緒に語り合い、学び、やりがいを感じてどんどんのめり込めていける世界だそうだ。しかも参政党が販売するオレンジ色のグッズを身につけることで党に貢献もできる。……と書きながら思うが、こういう高揚感自体は基本的には推し活の延長のようなものだろう。推し活の延長のような気軽さで政治参加でき、そういう気軽さで社会を変えられるのが参政党だったのだ。
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(略)※全文はソースで。
スパイ防止法を
週刊金曜日編集長は
北朝鮮総連
アベガー
未だに共産主義の妄想の中で生きてる
負け犬バカサヨは永遠に負け犬(笑)
デマは徹底的にバラまいたけどね
このままだとますます参政党が躍進するわ。
移民問題も自分たちは普段移民と居住環境が違うためか他人事だもの。
今回日本を破滅に追い込む国賊レベルのことをやらかしてんだぞ





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