加藤和彦が生み出した『帰ってきたヨッパライ』、なぜたった50枚から280万枚売れたのか? 「自転車で15分」の出会いから生まれたナンセンス曲の真実
10/16(木) 18:01 集英社オンライン
https://news.yahoo.co.jp/articles/3ca5a272104c83c1303a663341a9f2f97bc438cb?page=1「オラは死んじまっただ」の裏側
2009年10月16日に亡くなった音楽家・加藤和彦。昨年には彼の功績と実像に迫ったドキュメンタリー映画が公開させるなど、今なお世代を超えて多くの人々に影響を与えている。そんな彼が生み出したオリコン史上、最初のミリオンセラーと言われる名曲の誕生秘話をお届けする。
■「東京から突然やってきたミュータント」といった印象だった加藤和彦
ザ・フォーク・クルセダーズ(以下フォークル)の加藤和彦が、当時誰も思いつかなかったナンセンスでコミカルな歌『帰ってきたヨッパライ』で、280万枚という記録的なヒットを放ったのは1968年、20歳の時である。
そこから遡ること1965年の夏。京都府立医科大学の学生だった北山修は、雑誌「MEN’S CLUB」の読者投稿欄に掲載された、加藤からの呼び掛けに目をとめた。
フォーク・コーラスを作ろう。当方バンジョーと12弦ギター有。フォークの好きな方連絡待つ。
北山は、「これだ」と思った。しかも投稿主の住所を見ると、自宅からは自転車で15分ほどの近距離だ。そこですぐに自転車に乗ってその家を訪ねてみると、家の中から物凄く背の高い男が出てきた。
180センチある長身の北山よりもさらに高いその男は、口が重くて人見知りする感じがした。
彼は東京で高校時代を過ごし、父親の仕事の転勤で京都に引っ越して来たばかりでした。アイビールックに身を包み、仏教系の龍谷大学に通っているという。不思議な雰囲気を持つ彼は、まるで“東京から突然やってきたミュータント”といったように、私には印象づけられました。(※中略)
■解散記念アルバムは50枚ほどしか売れなかった
『帰ってきたヨッパライ』の原曲は、そんな加藤と松山が二人で作った楽曲のなかにあったものだった。
1967年にフォークルが解散を決めた時、北山のアイデアで記念アルバムを作ることになった。ただし、スタジオでのレコーディングは経費が高くつくからという理由で、ラジオの公開番組に出演した際に録音したテープを借りて、全体の半分はライヴ音源で埋めることにした。
そして残り半分だけ、オリジナル曲をレコーディングするつもりだった。ところがアルバムに入れる曲が足りなくなり、遊びで作っていた『帰ってきたヨッパライ』の出番がやってくる。
そのユニークな歌のモチーフとなったのは、『ヒルビリー天国』という楽曲だった。ジミー・ロジャースやハンク・ウィリアムスなど、亡くなったヒルビリーのスターたちに会って楽しいひとときを過ごしたが、それは夢だったという内容の歌詞だ。
松山がそれを下敷きにして、死んでしまった男が天国から追い返される歌詞を書いた。当時は急速なモータリゼーションの発達で、交通事故が多発して社会問題になっていたので、時代背景に使ったのだ。
そこに北山がビートルズの『ア・ハード・デイズ・ナイト』の歌詞をお経にし、木魚を叩きながら唱えるなどのアイデアを加え、曲が形作られていった。
テープの早回しは、僕の思いつきだった。その頃はビートルズがインド狂いをしていた時代で、海外ではサイケデリック調の音楽が流行し始めていた。(中略) そういったエキセントリックな曲の影響受け、独自の音を作りたいと思っていたのだが、アマチュアだから器材がない。せめてということで、テープを早回してみたのである。当時シンセサイザーがあったら、きっと使っていただろう。(加藤和彦)
京都の大学生だった加藤和彦や北山修を中心に結成されたフォークルは、1965年から2年ほどの活動を経て、メンバーが就職活動するなどの事情から解散することを決めた。そして1967年10月25日の『第1回フォークキャンプコンサート』に出演したのを最後に解散した。
このとき、解散記念に自主制作したアルバム『ハレンチ』を販売したが、50枚ほどしか売れなかった。在庫の山に困った北山が宣伝のためにとラジオ局に持ち込んだ。それから神戸のラジオ局のディレクターが『帰ってきたヨッパライ』を“発見”し、東京にも飛び火してレコードが大ヒットを記録していくのである。
交通事故で死んだヨッパライが「オラは死んじまっただ」と唄う、ナンセンスでコミカルな歌には、どこかに社会風刺のエッセンスが込められていた。それをテープ再生で作られた“変な声”で表現したり、最後にビートルズのヒット曲をお経にして詠み上げたり、プロでは到底考えつかない遊びのイマジネーションだった。
こうして社会現象を起こすほど大きな話題を呼ぶことになるフォークルは、加藤と北山に、はしだのりひこを新メンバーに加えて、1年間だけの活動という約束でメジャー・デビューを果たす。
(※以下略、全文は引用元サイトをご覧ください。)
文/佐藤剛 編集/TAP the POP
参考・引用
きたやまおさむ『コブのない駱駝』(岩波書店)
「加藤和彦読本」音楽出版社
北山修ってまだご存命?
来年傘寿
今は精神科医もしてるし栃木の私大の学長もやってる
死んだ父親が酒もうまいしねーちゃんがキレイなところにいてくれると思うと安心できる
それいったらビートルズより先にジョー·ミークがやってるし
天国で酒とネーチャンに入り浸ってたら神様に「なぁお前、天国いうとこはそんなに甘いとこやおまへんにゃ。もっと真面目にやれ~!(台詞:北山修)」と…
もっと 真面目にやれー
作った人達
勿論スタンダードな楽曲も作れるしメリハリがあった
悲しくてやりきれないは
ほんま胸に刺さるで
号泣やよ
なんか気持ち悪い一文だな





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