これは完全な打ち切りである。この手のシリーズものコンテンツが仮にフィナーレをやるなら、最後にふさわしい立派な特別シリーズを企画し、公開前からにおわせてPRしまくるものだ(ハリー・ポッターが典型だ)
それが放送中にいきなり「今ので終わりです」となるのは、よほど制作側の懐事情がカツカツでやむを得ず終わらせた感が否めない
つまりは打ち切りだ
仮面ライダーにもいえることだけど
「555」って人気の名作だったよね。苦悩するヒーローというか、それこそ映画のスパイダーマンみたいなシリアスな内容だった。映像も凝ってた
けどそれがどんなに人気になっても1年が終われば強制終了させられる。続編の「剣」は演者が活舌が悪くてお前らにオンドゥル語なんて呼ばれるくらいの最低な駄作だった
そんな駄作でも1年続けないといけない
この謎の「1年縛り」が失敗の諸悪の根源なんだ
初代ゴレンジャーみたいに、当たったらずっとそのコンセプトを続けるべきだったんだよ
それ以上にあるのが「ブランディングの失敗」である
スーパー戦隊の昭和から平成までの流れを振り返ると、当初は典型的な「ジャリ番」だったことがわかる
ジャリ番とは、子どもだましの番組ということで、戦後のマスコミ関係者(テレビマンや広告マンなど)はそう呼んで見下していたんだ
当時は「ゴットマン」や「東映スパイダーマン」のようなあからさまにお笑いみたいなコンテンツも多かったし
ゴレンジャーでさえトリビアの泉で取り上げられた鶏ガラスープで敵を倒す回のようなお笑いが多かった
それ以上にあるのが「ブランディングの失敗」である
スーパー戦隊の昭和から平成までの流れを振り返ると、当初は典型的な「ジャリ番」だったことがわかる
ジャリ番とは、子どもだましの番組ということで、戦後のマスコミ関係者(テレビマンや広告マンなど)はそう呼んで見下していたんだ
当時は「ゴットマン」や「東映スパイダーマン」のようなあからさまにお笑いみたいなコンテンツも多かったし
ゴレンジャーでさえトリビアの泉で取り上げられた鶏ガラスープで敵を倒す回のようなお笑いが多かった
まず第一作の秘密戦隊ゴレンジャーが放送された当時は1975年である
当時は団塊世代の子世代が子どもの「第二次ベビーブーム)で、子供番組がいくらでも儲かった時代だ
高度成長期で経済的にも右肩上がりだったので、おもちゃをどんどんいいモノを売れば飛ぶように売れるという図式もあった
そんなじゃ売上でない
うまくすればおっきい子供がいっぱい買ってくれるのに
一番でかいのは海外展開(パワレン)をユダヤに切り売りされたこと
バンダイと東映が連携して成り立ってるコンテンツなのにハズブロに売り飛ばされて現地で何もできなくなった
それは「最初からレンジャーシリーズをやるつもりはなかった」ということだ
二代目のジャッカー電撃退は開始まで3年の月日が経っているしレンジャーを名乗っていない
その次のバトルフィーバーJもスーツが戦隊系のデザインではない
何より名前が○○レンジャーではない。その後も3人組だったり、コンセプトのブレがあった
「○○レンジャー」を名乗る揃いの覆面スーツの五人組で毎年新作が作られるローテーションが確立されたのは、実は平成以降だ
意外と新しい伝統なのだ
戦隊レンジャーはどうすれば続けられたか。それは「ブランド化し、世界展開すること」だった
>>13の指摘が実にいいんだけど
パワーレンジャーとしてブレイクしたはよかったんだけど、長続きしなかったんだよ
これはなぜかというと、ドメスティックすぎたからなんだ
後半はイケメン若手俳優ばっかり起用してママさんを虜にしてたろ
だからそうやってるだろ
横浜流星はその過程で発掘された
それが失敗だったの
少子化が激化した平成以降も続けられた理由は「オタクが買ってくれる」というもの、とくにここ数年は腐女子上がりの母親たちが「2.5次元の推し活」感覚で男優やキャラクターに没頭したことで赤字をカバーできていたけど
そもそも「オタク」「マニア」というのは特殊な存在なんだよ。人生すべてをそれに捧げるので所得は少なくても惜しみなく散財はしてくれるが分母は小さい
万人ではない。横浜西口のビブレで友達と服でも買ってそうなオタクと正反対の普通の若者でも見ているスパイダーマンやアベンジャーズとはそこが違う
「たまたまガキが多くて景気が上向きだった時代に、ガキ相手の特撮を作ったらヒットして、メカのおもちゃを売ることで製作費を回収するモデルを編み出し、それを毎年ローテーションすることができた」というだけのことだ
けどそんなの平成の少子化や不景気で年々むずくなったことは明白だろ。だって親が貧乏でカネがなくて一人っ子だらけだった世代が、いまは30代半ばくらいでもはや視聴者の親世代になってるんだもの(そもそもこの世代、子ども以前に結婚できてる?)
むしろ今まで長続きしたと思うほどだよ
さっき言ったスパイダーマンの本家版にせよ、スーパーマンにせよ、戦前から続くアメコミヒーローがドラマになり、映画になったりしているよね?
イギリスBBCの特撮番組「ドクターフー」なんか全く同じオープニングテーマや内容を60年以上放送し続けているんだ
https://www.youtube.com/watch?v=00ZpiK1k4Dc
それに対し、戦隊ヒーローは1年やれば捨てられるコンテンツ
これじゃあ世界的ブランドにはなれないのである
自国内だけに縛られれば、子供がどんどん減る。絶対数が減ればおもちゃも売れなくなるし、ライバル局の番組とカニバリズムが発生して共倒れする
衰退する地方がシャッター商店街になるのと一緒。そうするとどのみち全部の子供番組が死ぬしかなくなる
子供番組であるだけでなく「残すべき大事な文化だ」と考えるなら、ブランド化を図り世界展開するしか生き残る道はなかった
だけど東映もテレビ朝日も、そういうことを一切せず「惰性の日本ローカルのルーチンワーク」に徹し続けて、今倒れたわけ
少子化率は絶望的で日本以上で、ソウル市内では恐ろしいほど子供を見かけない(東京のほうがはるかに多いレベル)である
しかし韓国では子供コンテンツの世界発信に積極的で「ポロロ」のような日本でも知られる全世界の人気ヒット作がある
ポロロを見たことある人ならわかるが「韓国感」はないんだよね
グローバル展開するうえで普遍性を持たせているの。その点、日本のスーパー戦隊は日本ローカルしか見ていない
そりゃ死ぬしかない
多分10人に聞いて10人誰も知らないと思う、いや煽り抜きで本気で
ポロロってポンキッキでやってたから世代によっては知ってると思う
「ちょっと興味がある(推しまではいかない)俳優が、あるドラマに出ていた」とか「自分が昔住んでいた街でロケをするドラマを後から知った」というようなことだ
けど知った時点で、放送終了後数か月、1~3年くらい経っている。後から見るには配信サイトにカネを払うか、DVDを買うしかない
ネット以降、現代人は「情報過多」時代に生きている
1日は24時間なのに消費しきれない情報が溢れかえっている。ゆえに「本当はちょっと興味があれば見たかもしれない番組」も気づくタイミングが遅くなっている
みんながテレビ地上波にくぎ付けで常に新番組を共有していた90年代以前とは違って、「気づいても乗り遅れる」ことが多くなっている
同じコンテンツが何十年もずっと続くから
スパイダーマンなんて20年前に実写映画になったけど、そのあとにも全く同じ映画をリメイクしたでしょ
ドクターフーも毎回同じ内容を最新の技術でリメイクして繰り返している
これならあとから知ってもついていけるし、オタクはオタクで何年版との違いがどうとか考察に没頭できるんだ
2005年くらいに、日本のオタクがハルヒのコスプレしていた時、パリやロンドンのコスプレイベントでは当時すでにオワコンだった聖闘士星矢やセーラームーンのコスプレイヤーが出ていたんですよ
日本のサブカルに理解がある「オタク層」でさえもそうなら、海外の一般人はもっと日本に疎いはずだ
それなのにたった1年でコンセプトを消費して1年周期で似たような別物が出てきて、1から登場人物や拠点や悪のアジトや敵キャラや技を覚え続けないといけない
そんなのが海外に広まることなどできるわけなかったんだ
スーパーマンはマッチョ主義の典型だったが、新作ではLGBTだったりした
一方、日本の戦隊ヒーローはピンクは女という「ピンクウォッシュ」を続けている(たまに青や黄色だったりするが)
基本的に5人いて女は1人だけ。多くて2人。赤が女だったり、ましてゲイやバイセクシャルが出てくることはない
これいまの世界の倫理観では完全アウトの性差別です
そのうち思い出したかのように変な写真貼る作業に戻るから
しかし日本の戦隊ヒーローは基本、純血の日本人しかいない。日系アメリカ人のケイン・コスギがカクレンジャーに出てきたとか(俺もそれを見た世代)例外はあるけどほんの一部
日本の民族構成を考えれば、在日朝鮮人やフィリピン系や、親が米兵のハーフ、ブラジル人、あるいはベトナム人労働者がひょんなことからヒーローの仲間入りをした
そういうことがあってもいいのに、時代に合わない「日本人至上主義」を貫いた結果終わったんだよ





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